リドリー・スコット監督の
「エクソダス」を観る
映画研究家 三浦忠夫
2015年2月
彼の最新作の「エクソダス」を観た。デミルの「十戒」のリメイクだ。クリスチャン・ベールのモーゼはぜんせん神がかっかていなくて普通の人ぽく描いているので前作のチャールトン・ヘストンの神がかったモーゼとは違う。
全体的に前作は「旧約聖書」の出エジプト記を神話的に描いているのに対して今回の作品はとてもリアルに描いているので現実的で汚なくちょっと戸惑う。
前作は1956年公開だからもうすでに半世紀が経っているしデミルはじめヘストンもブリンナーも当時の製作関係者はほとんどが草葉の陰だからどんなふうに作ったって誰も文句は言わないだろうが、前作を観たファンはまだ生きているししっかり覚えている。モーゼといえばヘストンだしラムセスといえばブリンナーに決まっていた。
「十戒」は古代エジプトの夢物語だと思っていたが、エジプトのカイロ考古学博物館でラムセス二世のミイラを見たとき紀元前13世紀と現在は繋がっているんだと思った。あの夢物語は本当のことだったんだ。これは衝撃的だった。古代エジプトの世界がぐっと身近に感じるようになった。そんな思い出のある前作だから「エクソダス」のように現代的にリアルに描かれるとちょっとがっかりする。
映画研究家 三浦忠夫
2015年2月
フィルムセンターで特集「東映時代劇の世界」のなかから1955年昭和30年公開の「紅孔雀完結編廃墟の秘宝」を観た。懐かしい映画だ。子供の頃NHK ラジオ番組の北村寿夫原作の新諸国物語第1作「紅孔雀」の映画版だ。まだテレビが普及していない時代、テレビのある友達の家へみんなで見に行った記憶があるが中身はほとんど覚えていない。ただ観たという記憶しかなかった。懐かしさもあってフィルムセンターに見に行ったらお客さんのなんと多いことか。みんな同じような年代だ
。同じように懐かしいのだろうなと思った。
見終わって拍手があった。そういえば昔は映画が終わるとみんなで拍手をしたものだった。見終わってまず思ったことは「紅孔雀」はこういう映画だったのかということ、その後何百本と観た映画のセンスからみるとなんと稚拙で幼稚な映画だったことか。それは成長なのか?純な心を失ったことなのか?
そんなことを考えさせられた「紅孔雀」の再見だった。