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記録映画「意志の勝利」を観て
記録映画「意志の勝利」を観て
映画研究 三浦忠夫
1934年にレニ・リーフェンシュタール監督によって製作された古都ニュルンベルグで1934年に開かれた6日間にわたる国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の第6回全国党大会を記録した白黒映画。
リーフェンシュタールはこの映画の監督をヒトラー自身から直接依頼されたという。ヒトラーの提示した「意志の勝利」というタイトル以外は自由に製作させるという約束で監督を引き受けることになったという。
この映画でリーフェンシュタール監督は撮影・編集にあたっていくつもの独創的な技法を考案した。例えば大胆なクローズアップによって群集の中の一人を切り取って見せて臨場感を抱かせたり、巨大なサーチライトを上空に向けて作り出す光の柱は荘厳で神秘的な印象を与えた。このサーチライトを使った手法は戦後もロックのコンサート演出などで使われている。
(左:若かりし頃レ二 右:撮影中のレ二)
また、地方から集まった突撃隊(SA)の若者たちが興じるスポーツの様子や共同生活が明るいトーンで描かれたり、突撃隊の整然たる行進や隊列の美しさも魅力だし、
後半のナチスの各組織、諸部隊のヒトラーの前での閲兵行進も圧巻だ。
編集に際して面白い話しが伝わっている。映画に映ってない幹部からクレームがついて彼女が断ると今度はヒトラーから写真を入れるよう要請があった。拒否したらヒトラーは激怒したが最終的にヒトラーは折れ、彼女の編集通りに作品は完成したという。
(ナチス党大会)
この作品の評価は国内で高くナチ党の党勢を宣伝する一助なったし、その映像美は海外でも高く評価され、1935年ヴェネツイア・ビエンナーレでは金メダル、1937年のパリ万博でグランプリを獲得している。
しかし戦後その評価は一転し、彼女はプロパガンダによるナチズムへの協力者として訴追され、長い審判の末に無罪となったが、その後も非難は続いた。
「意志の勝利」は映画史上最大の問題作と言われている。それは、ナチズムへの加担について彼女は「私は政治には全く興味はなかった。興味があったのは美だけ」と述べているが、問題はその美によってナチズムが助長されたという結果について監督には責任はないのか、という問題は現在では映像メディアが含む意味論上の問題にまで深められた。「意志の勝利」は社会的にも表象文化論的にも映画史における大きなメルクマールになっている。
なお現在ドイツでは、法律で「意志の勝利」の一般上映は禁じられている。
レ二・リーフェンシュタール「アフリカへの思い」について
レ二・リーフェンシュタール製作・主演の2000年の作品。この映画を撮った時は98歳だった。残念ながら2003年に亡くなった。100歳を超えていた。彼女は寿命の永い人だ。レニと謂うと、あのヒトラーに依頼されて撮ったナチの党大会の記録映画「意志の勝利」とベルリン・オリンピックの記録映画「美の祭典」と「民族の祭典」だ。ナチの宣伝映画だと謂われたが、「美の祭典」と「民族の祭典」は今観てもオリンピック記録映画の原点になる映画だ。市川昆監督の「東京オリンピック」も優れたオリンピック映画だったがそれ以上だと思う。優れた作品は時が経っても感動がある。
それにしてもレニは何故アフリカのヌバ族なのか。前にその写真集を観た時にヌバ族の異様さに度肝を抜かれた感じがあったが、何故ヌバなのかという疑問は残った。この映画でその疑問が解けた。
なる程、彼女はヒトラーからそして第三帝国の亡霊から逃れたかったのだ。戦後裁判に掛けられ無罪になったが、ことあるごとにヒトラーとの関係、第三帝国との関わりを問われ続けてきた。彼女にとって心の安まるところがなかったという。ヒトラーの夢を何度も見たし、そのたびに殺したいと思ったという。そういうことから逃れるために選んだのがアフリカスーダンのヌバ族だった。彼らは優しく自分を受け入れてくれた。ヒトラーも第三帝国も関係なかった。彼らと接していると心から安らげた。それと彼らの持っている美意識、アート、これは他の世界にはないものだった。心底から魅了された。このフィルムは、最初の訪問から27年後に再訪した彼女を追う。彼らは彼女を忘れていなかった、覚えていた。沢山のヌバ族の人たちが温かく迎えてくれた。しかし27年前とは変わっていた。戦争がすべてを変えてしまった。昔撮った写真を見せて彼らが今どうしてるかを聞いても戦争の話になると口をつぐんでしまう。すべてが変わってしまった。撮影も戦争ため急遽そこを退去したが乗ってヘリコプターが墜落した、命には別状はなかった。ドイツに帰って病院で治療を終えると新しい旅へ飛行機で向かって行った。私はまだやることが一杯あると言って・・・。(写真は左から98歳のレ二、ヌバ族の踊り)
映画「異母兄弟」を観て 映画研究 三浦忠夫
映画「異母兄弟」を観て
映画研究 三浦忠夫
田宮虎彦の原作を家城巳代治が監督した1957年作品。出演者は田中絹代、三國連太郎、高千穂ひづる、中村賀津雄、南原伸二、飯田蝶子、近藤宏、島田屯、永井智雄など。
物語は、大正10年頃、利江(田中絹代)は陸軍大尉鬼頭範太郎(三国錬太郎)の家へ女中奉公に出た。やがて利江は範太郎に手ごめにされて身ごもり、範太郎の病妻つたは一郎司、剛次郎の二児を残して死ぬ。範太郎は、ただ、世間体だけから利江を後添えにしたが、雇い女としてしか取扱おうとせず、一郎司、剛次郎にも、お利江と呼ばせ続ける。やがて十年の歳月が流れ、範太郎は連隊長、一郎司は陸士、剛次郎は幼年学校に在学、利江の生んだ良利は十二歳、智秀は六歳、そして利江は脂ののった女盛りになっていた。範太郎は依然として利江を虐げ、良利、智秀をも異母兄達ときびしく差別した。台所の片隅、そこが利江たちに与えられた部屋だった。それからまた十年。範太郎は少将で予備役となり、在郷軍人会の分会長をしていた。一郎司、剛次郎とも出征した。相次ぐ二人の勝報は範太郎にとり最上の誇りだった。良利(南原伸二)も海軍少尉となり出征した。中学四年になった智秀(中村賀津雄)は学業はできたが病弱だった。そうした智秀を軍人の家の面汚しと感じている範太郎は、ますます智秀を虐げた。新しい女中のハル(高千穂ひづる)は、親身に智秀をいたわった。智秀はハルの部屋に憩いの場所を見つけた。二人の心は急速に結びついて行ったが、範太郎に感づかれて智秀は勘当された。婆や(飯田蝶子)の実家に預けられた智秀は、ハルが身売りされたことを知り、その面影を求めて家出する。そして終戦--。出征した三人とも戦死し、範太郎はすっかりうつけてしまった。利江に家財道具を売り払わせては、飲みふけた。そんなある日、飯場を渡り歩いていた智秀が帰ってきた。利江は狂喜した。が範太郎は寄せつけなかった。噴きあげる怒りに利江は初めて範太郎を見据えて言った。「智秀はあなたの子です。私ばかりの子ではありません。もう言わせてもらい
ます。私はもう女中ではありません!」
私は18歳の時にこの映画を観たが、三国連太郎の独善的な軍人姿と田中絹代の控えめで地味な姿を覚えている。特に三国の軍人姿には強烈な印象を持った。田中絹代生誕100周年記念でフィルムセンターが「田中絹代特集」をやっているのを知って、内容を見たら「異母兄弟」があったので懐かしくなり観ることにした。
観直して分かったことだが、こんなに暗い映画だと思わなかったし、結末もはっきりしないし、惨めさだけが残る映画だ。当時この映画がどこかで国際賞を取っているが外国人は何を感じたんだろうか。日本の軍国主義の根っこを見たのだろうか。
家城巳代治監督といえばなんと言っても「雲流るる果てに」を想い出す。何度観ても涙する。でも考えてみると「雲流るる果てに」の主人公たちは生粋の軍人じゃない。徴兵で無理に戦争に駆り立てられ、この戦争になんとか意義を見出して散って逝った連中だ。いってみれば犠牲者だ。そういう若者に対して哀悼の意を捧げたのがこの映画だった。
その点、この「異母兄弟」は生粋の軍人家族を描いている。軍人教育を受け、日本人の武士道精神を学び、日本ため日本人ために戦ったリーダーたちだと思っていた。しかし戦後分かったことは、本当は国民のことなど本気で考えていなかった、自分の名誉ことだけしか考えていなかった、と言うことが分かった。
この映画の主人公は、祖先が江戸時代に五百石取りの剣術師範であり、その末裔として軍人になったことを誇りにしている。その軍人家族の悲劇が描かれているわけだが、家長がいかに封建的で独善的であるかを三国連太郎によって演じられている。 すべての軍人がこうだったとは思わないが、多分こうだろうと思われる点はある。それにしても田中絹代が演じる車引きの娘の女中は嫁になってもあのように惨めだったのか。この時代、つまり大正時代には厳然と身分制度があったのだろうか。これを家城巳代治は描きたかったのだろうか。それにしても救われない映画だ。
今の日本には軍隊はないというが、本当に自衛隊は軍隊じゃないのか。隊員は昔の日本軍人とどこが違うのか、また彼等は何を教えられ、何を考えているのか検証したいものだ。時々自衛隊の幹部だった人が昔のことを引きあいに出して物議を醸し出すが、ほんとうに彼は日本のことを考えているのか、国民一般は疑わしい目でみている。日本人一般は過去の歴史から少なくとも軍人という存在を信用しなくなっている。軍人という存在がこれからの日本にとって必要なのか要らないのか本気になって考える政治家はいるのだろうか。
先日、100歳に2,3ヶ月でなるという男性と話をした。一見して80歳代にしか見えないが、姿勢もいいし、言葉使いもしっかりしている。後で聞いたら彼のお父さんは児玉源太郎の台湾総督時代に彼の秘書だったそうだ。児玉源太郎と言えば、乃木典介や東郷平八郎とともに日露戦争の英雄として有名だ。彼は生粋の軍人でありながら国際的感覚にも優れ、日露戦争に当たっては世界各国に根回しをしていたと言われる。そんな児玉源太郎の影響を秘書だった祖々父が受け、そして100歳の祖父通して今、息子や孫たちに生きている。息子は国際的な銀行マンで奥さんはピアニストで永いことイギリスでビアノの教師をしていたというし、孫娘二人は国際的な音楽家で姉はロンドンとモスクワでビアノの勉強し、今はロシア人のピアニストと結婚しロシアで演奏会の仕事をしているし妹さんも外国で音楽の仕事をしているという。このように一家が世界各国で生きている根っこには100歳になる祖父の哲学や教育に関係があるのだろう。
ありきたりだが彼に長寿の秘訣を聞いたら「よく眠ることと強いお酒を少し飲むこと」と言っていた。また今の日本人についてこうも言っていた。「今の日本人は日韓併合時代(1910年から1945年)の日本人とちっとも変わってない。日本人はまだ世界に対して謝っていない。早く悔い改めるべきだ」と言っていた。さらに「今の日本人は本気で生きていない」とも言っていた。心にグサリとくる一言だった。このことを何人かの友達に話したらみんな納得していた。みんな分かっているんだ。問題はこれからどうするかだ。
ジャッキー・チェン「新宿インシデント」を観て 映画研究 三浦忠夫
映画研究 三浦忠夫
最近中国映画界が凄い!、先日もNHKで世界の映画が中国に集中しつつある、そのうちハリウッドの映画は中国で作られるだろう、現にもう何本かは中国で作られているという。そのうち中国は映画のメッカになるだろう、という内容のNHKの放送を見ていたら、ジャッキー・チェンが新宿を舞台にした映画を作ったことが映像から流れた。そういえば数ヶ月前に友人がこの映画を薦めいたのを思い出して、早速DVDを借りてきて観た。以下はその感想である。
原題は「新宿事件」。英語のタイトルは「Shinjuku Incident」。2009年公開香の港・日本合作映画。監督のイー・トンシンが、自身の10年間に及ぶ構想を映画化した作品。アクション俳優としてのイメージが強いジャッキー・チェンが「アクション封印宣言」をして公開前から話題を集めたという。2007年に舞台となる新宿の歌舞伎町でロケを敢行、しかし3分の1は神戸の繁華街でロケされ、香港映画としては破格のスケールになっている。
この作品は、ジャッキー・チェンがアジア向け映画を作るため自らプロデューサーを務める「アジアン・プロジェクト」の第1回作品。新宿・歌舞伎町を舞台に、密航でやって来た中国人の男が裏社会で生きていく姿を描いた社会派ドラマだ。主演も務めたジャッキーは彼の代名詞たるカンフーアクションを完全に封印。田舎から恋人を探しにやってきた実直な青年が裏社会に飲み込まれていく様を誠実な演技で表現。“俳優ジャッキー・チェン”としての実力を見せ付けた。彼と対をなすキャラクター、阿傑を演じたダニエル・ウーは物語の中で大きく性格の変わっていく男を好演。その周囲を竹中直人、加藤雅也、峰岸隆一郎、長門裕之といった日本の実力派俳優陣が固めている。
今回の映画は、作品自体が新宿歌舞伎町の裏社会の人間模様を描いた内容であり、劇中に殺人や暴力シーンがかなり盛り込まれているため、香港を除いて中国国内では上映されていない。また日本でも公開に際しては映倫のレイティング対象、つまり映画鑑賞の際に年齢が規定されることになり、ジャッキーの主演作品では史上初のR−15指定、つまり15歳未満(中学生以下)の入場(観賞)禁止となった映画である。
観終わった感想は、自分の住いからわずか2、30分しか離れていない新宿歌舞伎町の裏社会がこんなに凄い国際都市だったなんて知らなかった。中国人やその他のアジア人同士の抗争とそれに絡む日本のヤクザたちの血で血を洗う争い。こういったテーマが映画になることが凄いし、まさに「仁義なき戦い」の国際版だ!これからはこういった映画が多くなるのだろうか?
松本清張の「ゼロの焦点」を観て 映画研究 三浦忠夫
松本清張の「ゼロの焦点」を観て
映画研究 三浦忠夫
2009年に生誕100周年を迎える社会派ミステリーの巨匠、松本清張の同名傑作小説を監督犬童一心、広末涼子他で映画化されたので観た。小説「ゼロの焦点」は「点と線」、「砂の器」などと並ぶ松本清張の代表作で、1961年には松竹で野村芳太郎監督、久我美子主演で映画化されている。早速、前の映画を DVDで見直して比較してみた。
本作は推理ドラマではあるが、戦後ようやく女性の地位が向上していこうとする中、自らの幸せを求めようとする3人の女性の物語でもある。「結婚」に幸せを見出そうとする主人公だが、彼女は夫の過去も、そして今どんな問題を抱えているかも知らなかった。前作の「松竹・清張」映画の雰囲気を監督の犬童一心は再現しているし、広末はじめ現代の女優たちも往年の女優に負けずに熱演し、荒れた北陸の海も印象的だったが、全体的に見て前作の方がよく出来ている映画だと思った。
この2本の映画の間には50年、半世紀という時の隔たりがあり、この映画の時代は戦後まもなくまだ日本が混沌とした時代であったし、前作ではそんな感じが映画から感じられ、また舞台になった金沢の荒れた海の風景も、そのうら寂しさは新作では感じられなかった。
観終わって、室田佐知子役は新作の中谷美紀の印象が強烈で前作の高千穂ひづるは印象が薄い。また禎子役の広末涼子は一番の主役なのに切実感があまり感じられず、前作の久我美子の方が納得出来る。さらに田沼久子役は前作の有馬稲子は出番が少なく彼女の個性が十分発揮されておらず、その点木村多江の方が役柄にぴったり合っているような印象を受けた。
もう一点は、3人の主人公たちを巡る脇役の人たちは、旧作では個々の役者の人たちが他の映画で十分知っている人たちだけに、それぞれが作品を盛り上げる演技を披露していたが、新作ではあまり良く知らない役者たちだったし、前作と比べるとちょっと力不足を感じた。
中村錦之助主演「花と龍」を観て 映画研究 三浦忠夫
「花と竜」は今まで四度映画化されている。1954年に東映で監督佐伯清 、主演藤田進、山根寿子。1962年に日活で監督舛田利雄 、主演石原裕次郎、浅丘ルリ子。 1965年・1966年に東映で監督山下耕作、主演中村錦之助、佐久間良子。 1973年に大映で監督加藤泰 、主演渡哲也、香山美子。
「花と竜」は昭和27年(1952年)4月から翌28年(1953年)5月まで読売新聞に連載された芥川賞作家の火野葦平の長編小説。
物語は、明治中期から太平洋戦争後の北九州を舞台に著者の父である玉井金五郎(若松の仲士・玉井組組長)と妻のマンの夫婦が裏切りやすれ違いを経験しながら家族の歴史を積み重ねていく大河小説である。ほとんど実名であり仲士の生活向上のために小頭聯合組合を結成しようと運動して三十数か所の刃傷をうけたのも、どてら婆さんなる女侠客の乾児から襲撃され危篤となったのも事実である。
タイトルの「竜」は金五郎が青年の客気で五体に入れた文身であり、男としての虚栄心と詰まらない意地が人生に拭えない影を落とすという自戒の徴である。周囲の誤解や無理解に挫けず、ひたむきに信念を貫く金五郎と、それを支えつづけるマンは戦後に全てを失った日本において裏切りや屈辱の境遇にあっても人としての品位を守ろうとする玉井自身の理想を「花」としたものである。やや通俗的であるが米国の占領から独立する日本への火野葦平の願いを物語っている。
1965年東映の「花と龍」は東映任侠映画のはしりと言われており、中村錦 之助はこの映画を最後に東映任侠映画の主役の座を高倉健に譲ったと言われている。しかし、この映画はその後の任侠映画とは一線を画しているように思える。それは主人公の人物表現に顕著に表れている。「花と龍」の主役を演じる中村錦之助の役は、強くて曲がったことが大嫌いというところはその後の高倉健演じる役どころと一緒だが、錦之助演じる役どころは人情に脆く、泣き虫でお喋りでひょうきんものの三枚目的だが、健さんのそれは無口でストイックでクールだ。しかしそれが受けた!それで高倉健は大スターになった。それを見抜いて譲った錦之助は先見のめいがあった。
そのお陰で健さんは任侠映画の主役になった。しかし時と共に仁侠映画も廃れ、実録ものやロマンポルノに代わっていったが、スター高倉健にはその後も任侠もののイメージがついて回った。軍人をやってもサムライを演じても任侠ものの役どころから抜け切れなかった。いや観る方が任侠ものの健さんの強烈なイメージをダブらせて観てしまった。そこに彼の役者としての悲劇があった。だから、軍人役をやっても護身の日本刀を抜くと任侠ものと一緒だと嫌みも言われた。彼はその後どんな役を演じてもその高倉健だった。
山下耕作監督についても一言述べておこう。
彼は1930年(昭和5年)に鹿児島県に誕生し、1952年(昭和27年)京都大学法学部卒業後東映京都に入社。助監督時代は、内出好吉・内田吐夢・吉村公三郎・佐々木康・河野寿一・沢島忠・今井正らの作品につく。 1961年(昭和36年)『若殿千両肌』で監督デビュー。 1963年(昭和38年)、長谷川伸の名作戯曲『関の弥太っぺ』を映画化、その演出において表現された優しさと情感は、主演中村錦之助の名演と共に絶賛された。任侠映画全盛期には数多くの名作を演出したが、特に1968年(昭和43年)監督した傑作『博奕打ち 総長賭博』(脚本笠原和夫、主演鶴田浩二)において悲劇美を極めた重厚な演出を示し、三島由紀夫にも賞賛され、「仁侠映画」が芸術性を獲得したとも言われた。しかし私なんかは、この映画は任侠道否定の映画として評価した。その後山下耕作は、テレビ時代劇も多数監督したが1998年12月6日多臓器不全のため死去した。享年68歳。
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